5日目、島の南端のすり鉢山に星条旗が上げられ、あのもっとも有名な写真
が撮られました。切手になり、レリーフになり、アーリントン墓地の銅像に
もなっているあの写真を撮ったジョー・ローゼンソール氏(報道カメラマ
ン)が20日、米サンフランシスコ郊外で老衰のため94歳で亡くなったと
ニュースで知りました。ご冥福を祈ります
R.F.ニューカムの戦記硫黄島によると、ピュリツァー賞を受賞したこの
写真の旗は実は本物ではなく本物は2時間前に別の小さい旗が揚げられてい
るのです。そのときの写真を撮ったのはルイス・ロウリー軍曹でシャッター
を押した瞬間日本兵二名が手榴弾を投げ日本刀をひっさげて星条旗に突撃し
米兵に撃たれています。この旗こそ本物の硫黄島の星条旗なのです。戦記に
は「畜生、誰かがあの旗をほしがるだろうな」「しかしあれをやるんじゃない
ぞ。あれはわれわれみんなの旗だ。もう一つ旗を出してそれとかえろ。最初
の旗を早くこっちにもってこい」「もっと大きい旗を上げるんだ。これは記念
品にするのさ」と書かれています。ローゼンソール氏がすり鉢山の頂上に達し
たときは、はじめの旗を降ろしているときだったのです。そして二回目の星
条旗が揚げられてあのもっとも有名な写真が撮られたのです。それにしても
生きるか死ぬかの戦争のさなかでも人間は希少性あるものを欲しがるんです
ね。また旗に対する思いは日本軍にとっても大変重いものだったようです。
最後、火炎放射器で北の岬に追い詰められた日本軍は「軍旗はいつまで安全で
あるか」「おそらく一日でしょう」「軍旗を焼きなさい。敵の手に軍旗を渡して
はならない」「軍旗を焼いていますさようなら」と書かれています。えらい軍人
さん達は軍旗にこだわらず降伏することはできなかったんですね。悲しくな
りますね。あの写真は日本にとって屈辱の瞬間だったと思うのですが、あの
写真を見ても戦後生まれのわたしには愛国心の欠如か平和ボケなのか怒りの
かけらすらわいてこないんです。靖国問題で怒っている中国や韓国の人達と
はえらい違いです。硫黄島から生還した父はローゼンソールさんより5歳位
若いのですが、特養で今日も元気に暮らさせてもらっています。